心はいつも雨模様

記憶より記録

2017年、初夏、東京③

5月は東京に行く機会が多く、6月になっても未だに東京の出来事を纏めきれずにいたので、今回で全て纏めようと思います。中村文則さんの文学講座に参加したことは詳細に記しましたが、腐れ縁の友人に会い、くだらない時間を過ごしたことは書いていませんでしたので、思い出の整理の為、そして、今後の東京旅行に活かすために、ほどほどに書き残しておきます。

 夜行バスはやっぱり眠れない

夜行バスで東京に行くのは今回で4回目で、さすがにもうバス慣れしているだろうと高を括っていましたが、成長虚しく、まったく眠ることができませんでした。しばらくバスには乗りたくありません。

印象に残った出来事と言えば、トイレ休憩のためサービスエリアに立ち寄ったことくらいですね。深夜1時30分過ぎ、真夜中であるにも関わらず、大勢の人たちがお土産屋さんや飲食コーナーに集まって元気に話をしていているので、その光景を見るやいなや「こいつら、眠くないんだろうか」と、疑問を抱かずにはいられませんでした。おそらく、旅行の熟練者は、生活のリズムを自由自在に操れるのでしょう。

 新宿

夜行バスは新宿のバスセンターに止まり、私はそこで降りました。外の空気を吸うために建物から出ると、時計塔のような建物が朝日に照らされて輝いている光景が目に飛び込んできました。新海誠の作品でよく描かれる建物だったので、眠いのも忘れて、この時ばかりはつい見惚れてしまいました。ちなみにあの時計塔のような建物は、NTTドコモのビルだということを、後になって知りました。しかも、新宿の象徴的建物だと思いきや、渋谷区に位置していたので、驚きです。

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写真:朝の新宿の時計塔

 渋谷ハチ公前・スクランブル交差点

バスを降りた後は友人のアパートに向かい、明治大学近くの駅で降りました。この時、早朝6時過ぎで、電話をしても、出てくれる気配がまったくありません。「起きろよ~」と念じても、着信音が鳴り続けるだけでした。近くのカフェで時間を潰すことにし、その後、電話をしてから1時間後くらいに再度私のスマホに着信がありました。
「ごめん、寝てたわ~」
「許す」
こうして小学時代からの友人Kと初めて東京の地で会うことになりました。

渋谷が近かったので、まずは渋谷を見物しに行ました。「渋谷ハチ公前に待ち合わせ」誰しも、このセリフを一度は耳にしたことがあるでしょう。 ハチ公の像は、駅の出口を出たら、デデン!と現れるか思っていましたが、ひっそりと木の陰に隠れた状態で姿を現しました。涼し気な感じがして、待ち合わせに相応しい場所ですね。

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写真:「渋谷ハチ公前に待ち合わせ」

スクランブル交差点は初夏の陽射しがさんさんと照り付けていて、目玉焼きが作れるくらいに熱気が籠っていました。ヒートアイランド現象の根源ですね。

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写真:渋谷の風景

 上野公園・上野動物園

次は上野公園へ行きました。女友達のMが12時過ぎに上野駅にて合流する流れとなっていたので、適当に歩き回り、時間を潰していきました。上野公園に生い茂る木々の葉たちが初夏の陽射しを遮り、木漏れ陽が気持ちよく感じられました。
公園内の草木の匂いが少年時代の思い出を呼び覚まし、私たちは昔の思い出を語り出しました。
「そういえば、地元の祭りで、馬が大量のう○こを道路一面に漏らしたのを覚えてる?」
「覚えてる覚えてる。君はあのう○こを見て、たいそう喜んでたね」
「あの祭りはう○こしか印象に残っていない。というかマルイネコも喜んでたろう?」
「う○こを見て喜ぶわけないだろう」
「あと、マルイネコは僕のパチンコを使って、う○こに目掛けて弾を発射させて、う○こを爆発させたことがあったね。飛び散ったう○こはみんなの服、あるいは道具に付着して、大変だった。あのバカげた行為は今でも鮮明に覚えてる」
「俺、そんなことしたっけ?」
「忘れんなこのう○こタレ野郎」
「別にう○こはタレてない。あ、毛虫だ」
「イヤー」
「うっそー」
…もう二十代半ばであるはずなのに、私たちはう○こと毛虫の話だけで盛り上がりました。本当に、子供の頃からまったく成長していません。上野公園で飲むラムネは最高に美味しかったです。

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写真:ラムネ

その後、小学時代からの女友達Mが東京に到着し、無事に合流しました。Mは東京に到着するなり、ジミー大西を駅で見かけたことにすごく興奮していました。
ジミー大西に会ったんだよーーー!」
「確かにすごいけど、何か微妙だ」とK。
「Mに相応しい人徳を如実に表してる」と私。
「は~?(怒)」
そのまま上野動物園に向かいました。暑さのせいか、動物たちは基本的にうなだれていました。

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「やる気でねー…」といった感じ。でも、まったくやる気の感じられないパンダは、それはそれで可愛かったです。
一通り見た後、中村文則さんに会うため、私はここで一旦離脱しました。

 下北沢

夕食は下北沢でとることになりました。下北沢は細く入り組んだ道が多いのが特徴で、お洒落な雑貨屋さんや、食べ物屋、そして、飲み屋が、所狭しと軒を連ねていていました。歩いているだけでワクワクします。旅行者にはおすすめの場所ですね。

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写真:下北沢の夜の街並み

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写真:とある飲み屋のおでん。ダイナミックに大根が使われていますね。

 吉祥寺・井之頭公園

友人のアパートに泊まり、アホな話をした翌日は、吉祥寺の井之頭公園を散歩しに行きました。ランニングをしている人、読書に耽っている人、楽器を弾いている人、そして、不思議なアクセサリーや雑貨などを売っている人など、様々な人がいたので、公園としのスケールの大きさを実感しました。住みたい町ナンバーワンになるのも頷けます。

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写真:井之頭公園入口

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写真:水面に映る青葉

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写真:散歩コース

 秋葉原

アキバはゴールデンウィークに会社の先輩と満喫したので、前よりは大きな感動と言ったものはありませんでした。しかしまだ入ったことのないお店などに立ち寄ったりしたので、それなりに楽しめました。小学時代に流行ったゲームなどを見て回り「懐かしいなあ」と、会話を弾ませることができるのは、秋葉原ならではの楽しみ方ではないでしょうか。それと、メイドカフェには行かず、またしても猫カフェに行きました。

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猫は何度見ても可愛いし癒されるので、猫カフェは、至福の時を過ごせる天国のような場所ですね。

女友達のMが「ジュクシ!ジュクシ!」と効果音を発しながら、友人のお腹を攻撃する外国人観光客の姿を目撃して、「馬鹿だなあ~」と呆れていました。でも、どこか愛おしさのこもった顔つきで、一部始終を回想していたのがとても印象的でした。子供心の大切さを、もしかすると気づいたのかもしれませんね。大人になると、心が無機質になってしまいますから。

 浅草

最後に、女友達のMが浅草に行きたいということだったので、私たちは浅草へと向かいました。私自身、浅草は三回目となりましたが、何度訪れても、あの人の多さと、活気に満ちたお店の佇まいには、驚いてしまいます。あそこは、東京では上位に入るほど、人が多く密集する地域なのではないでしょうか。私はそう思います。

この時点で暑さと眠気と人の多さで心身ともにヘトヘトになっており、みんなの口数が少なくなっていました。もうすぐ旅行も潮時だ。そう頭によぎったことでしょう。

浅草寺でおみくじを引き、今後の人生の良し悪しを決めてから、今回の三人での東京旅行を締めくくることになりました。運命のくじ引きの結果はこうなりました。
友人K:小吉
女友達M:大吉
私:凶
「いやー良かった良かった。終わりよければすべて良し。あれ、マルイネコ、なんで遠い目をしてるの?」
「世界なんて…終わってしまえばいい」

私は浅草寺から飛び出し、空を見上げ、目をカッと見開き「神様のバカヤロー!」と心の中で叫びました。

こうして、小学時代の古き良き友人との初夏の東京旅行は、幕を閉じることになりました。

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梅雨入り前の眠れない日

今週はかなりキツイ週となった。このままこの生活を続けていけば、きっと、私自身が壊れてしまうだろう。5月の走り梅雨が去り、本格的な梅雨入りを迎える6月…私は、少しでも、前に進むことができるのだろうか。

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夜、漠然とした不安が私を襲い、貴重な眠りを妨げる。さらに、突如として降り出した滝のような雨が、アパートの壁を打ち付け、それが、パチ、パチ、パチ、と弾ける雨音となって、掛け時計の針の音と共に部屋中を駆け回る。

私の、眠りを、容赦なく妨げる…

時計の針は、私の存在の有無に関わらず、淡々と進み続ける。時間が地平線のようにいつまでも広がり続ける一つの線だと考えると、私が今耳にしている雨音も、そして、この大雨も、永遠に降り止むことがないのではないかと、つい思ってしまう。

しかし、仮にそうだとしたら、私は、永遠に眠れないではないか…

急な雨の後の早朝は、無駄な熱気を洗い流したかのように、辺りの空気は嘘みたいに冷たくなる。初夏の、気怠い蒸し暑さも、すべて帳消しにして…

私は、うまく寝付けず、最悪な気分のまま、僅かに外の明かりの入ったカーテンを開け、窓を開け、まだ太陽の出ていない深い青色の空を仰ぎ見るだろう。そして、雨の影響で冷たくなった空気を肌で感じながら、「今日も生きていこう」と、何となく決意する。

…おやすみなさい…

モダンタイムスから学んだこと

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伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』を読み終えた。これで伊坂さんの本はほぼ読み尽したことになる。私は学生の頃から好きな作家さんの本をできるだけ読まないように努めてきた。その理由は、全部読んでしまうと、今後の人生の楽しみがなくなってしまうからだ。大好きなドラマが最終回を迎え、最後のエンディングを聴いている時みたいに、先がないことを考えると、ひどい虚無感に襲われる…でも、他に好きな作家さんはたくさんいるから、そっちにシフトすればいいだけの話なんだけどね。伊坂さんは今後の新作に期待しよう。あるいは、まだ読み終えていない本が、もしかするとあるかもしれないので、探してみよう。

どのようなストーリーか

『モダンタイムス』は『魔王』という小説の約50年後の世界を描いている。だから魔王に出てくる登場人物が重要なキーパーソンとして物語に何度も触れられる。しかし魔王を読まなくても、モダンタイムスはモダンタイムスで楽しめるので、興味があれば迷わず手に取って読んでみることをお勧めする。

『モダンタイムス』は、『ゴールデンスランバー』と関連性が深く、どちらも国家という巨大な社会が敵となって物語が進んでいく。抗うこと自体が無駄な抵抗となる中で、そのまま社会に服従するか、それとも、歯車から抜け出して小さな目的の為に生きていくか。どちらも、生き抜くために最悪で最善の選択が迫られる、緊迫感のある作品となっている。

『モダンタイムス』のあらすじ

SEとして平凡に過ごしていた渡辺拓海が、あるシステムの仕様変更の仕事を請け負ったことがきっかけで、身の回りの人たちが次々と不幸に襲われていく。上司の自殺、先輩社員の疾走、同僚への濡れ衣、知人宅への放火。不幸に見舞われた人たちは、皆、”播磨崎中学校 ” ”安藤商会”というキーワードを検索していた。それぞれの言葉が意味しているものは一体何なのか。物語の中で語られる凄惨な大量殺人事件、「播磨崎中学校事件」の真実とは…。「勇気はあるか?」ストーリーの途中で、何度もその言葉が投げかけられる。

物語を全て読み終えた時、あなたは、この世界の仕組みを、神妙な面持ちで、理解しているのかもしれない。

モダンタイムスから学んだこと

 全てはシステムの一部に過ぎない。それは人間の生活にも、社会全体にも当てはまることで、私たちはある程度決まったルールの下に、踊らされながら生きている。それは、私たち一般人だけの話ではない。どんなに偉い人間にも同じことが言え、時代がその人を必要としているから選ばれただけにすぎない。もし、必要でなくなったら、あっけなく、世界の隅っこに弾き出される運命となる。ヒトラームッソリーニもそうだった。私たち人間が自己の利益を優先するのと同じで、国家自身が、なるべく生き延びる方法を優先し、人間を歯車にし、使い捨てにする。国家は、理性を持った生き物だ。

そのように、延々と繰り返されるシステムを考えると、絶望的な感覚に襲われる。なぜ私たちは生きているのか、と。しかし、その答えを探すにも、私たちは必ず決まった方法をとる。それは、検索だ。人間はすぐに検索をして、答えを求めようとする。しかも、それが、絶対に正しいものだと信じて…繰り返されてきたシステムの中で導き出された方法を、検索によって得、そして、それを私たちは参考にし、実行して、結局は何も変わらない状況に悲観し、また悩む。

検索が悪いことだとは思わない。私も、日常生活や仕事の場面で、分からないことがあれば、当り前のように検索する。知りたい情報をすぐに見つけられることもあるから、問題解決の糸口を見つける最善の方法だと言えるだろう。インターネットが、私たちの生活に利便性もたらしているのは確かだ。

でも、この小説で語られているように、利便性ばかりを求めてしまうと、人間が腐っていく。考えることを止め、薄っぺらな人間が増えていくばかりになる。そして、行きつく先は、誰が何をしているのかも分からない、曖昧な状態に陥ってしまう。便利さが逆にマイナスの要因を発生させるのだ。これは伊坂さんが元SEだからこそ、緻密に物語に描くことができたのだろう。IT企業に勤めている私からすると、読んでいて、共感の嵐だった。効率的なシステム処理が、「なぜこのような処理を行っているのか」という問いを省いてしまい、重要なことはいつまでも知ることができない原因にもなる。

モダンタイムスのように、便利さによって隠された悪しきシステム処理が、世界中にまんえいする日が、やってくるのだろうか。そんな日がくれば、誰かが傷ついても、責任を負う人間はいなくなる。誰もが知らんぷり状態、見て見ぬふり状態となるだろう。そして、意図的に誰かを不幸に陥れたとしても、「そんなものなんだよ」と、ルールの一つとして、受け止められることになる。

便利さが無機質な感情を持った人間を作り出すことに繋がるのなら、私は、便利さなんて捨てた方がいいと思う。

本当の幸せと何なのだろうか。

社会全体のシステムに身を捧げ、ありふれた人生を送ることが、本当の幸せだといえるのか。それとも、自分の目的のために、システムから抜け出し、不安を抱きつつも、やりたいことをやっていく人生が、本当の幸せに繋がっていくのだろうか。

私は、『モダンタイムス』から、何を学んだのか。

印象に残ったセリフがある。

人間は大きな目的の為に生きているんじゃない。小さな目的のために生きているんだ
人生を楽しむには、勇気と、想像力と…ちょっぴりお金があればいいのよ

この小説で伝えたいことは、このセリフにすべて込められているんじゃないかと思う。
伊坂さんは、小説で世界が変えられると思っていたけど、作家になり、その考えは、幼稚に過ぎる考えだったと気づいた。今は、誰か一人にでも、心に染み込むものがあればいいという考えを持って、作家生活を送っている。

私たちが社会のシステムの一部にならない、あるいは飲み込まれない為には、自分の考えをしっかりと持って、目の前にある小さな目的を、一生懸命にこなしていくよう心がけていくこと、そのようなことを、この小説は教えてくれた。

 まとめ

 モダンタイムスは長編小説だったので、多少ではあるが読み終わるまで時間がかかった。でも、長編小説によく見られる、ダラダラとした展開はなく、淡々と物事が進んでいくので、読んでい退屈さは感じなかった。ユーモア溢れたセリフの言い回しも多く散りばめられているので、退屈どころか、友人と楽しく会話をしているようで、充実さに満たされた。

小説から学ぶことは多い。それこそ、ネット検索では得られない、価値のある言葉や描写が、私たちの記憶に深く刻まれる。

 感性の豊かな人間は、きっと、ネット検索で得た情報で、物事の良し悪しを判断しない。