心はいつも雨模様

記憶より記録

マスクの下に隠された秘密

冬に吹き荒ぶ乾いた風が、厄介なインフルエンザウイルスを運んでくるのは、自身の体調を管理するために、知っていて当たり前のこと。人々のマスク姿は、クリスマスツリーを眺めるくらいに、もはや冬の風物詩になっているのは言うまでもない。最もクリスマスツリーのようにキラキラした輝きはなく、「ウイルス近寄るんじゃねえ」という怨念のような雰囲気しか漂わないのが見て取れるのだけれども。

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マスクの使い道は、咳やクシャミなどで、人に風邪を移さないことが第一だと思っていたのだけれど、どうも最近は違うらしい。空気中に浮遊しているウイルスを100%遮断してくれるのを期待している人、埃っぽいのがとにかく苦手な人、口臭を気にしている人、口元のコンプレックスを隠したい人、マスクそのものが格好いいと思って付けている人など、様々な理由で使用している人がいるらしい。

私はマスクをする習慣がない(付けた瞬間息苦しくなりすぐに放り投げてしまう)ので、マスクを付けている人を見ると「息苦しくないのかなあ」とつい思ってしまう。もちろん、私はインフルエンザ対策として、見えないマスク(持っているだけでウイルスを寄せ付けない)を使用しているから、インフルエンザ対策は万全だ。…と信じたい。身近に発症した人がいたら、移る確率が上がるので、そこは運もあるんだろうけどきっと。

さて、本題に入ろう。私と同じ部署に一年中マスクをしている女性社員がいる。入社してから一年間、私はまともにその人の顔を見たことがない。同じ部署なのに、向かい側の席で距離も近いのに、いつも大きなマスクで顔が覆われているので、未だにその人がどのような表情をするのかを、これっぽっちも把握できないでいる。もうすぐ四月になる。結局、彼女の素顔を見れないまま、このまま部署移動となってしまうんだろうな。そう思うと、まるで私がインフルエンザウイルスのようで、少し悲しくなる。

マスクをしていても、完璧にウイルスは遮断できない。クシャミなどで周りに菌を広めない、ただそれだけが効果的な代物だから、病気になった人が付けてこそ効果を発揮する。健康な人が付けても、気休め程度になるくらいが関の山だ。マスクの中は吐いた息で湿度が保たれ、口周りの菌やウイルスが死滅すると言われているけれど、そんなの、湿度とウイルスの関係性を極端に合致させた憶測にすぎないではないか。現にマスクマンの女性社員は風邪で会社を数日間休み、虚弱体質でしかもマスクすら付けない(目に見えないマスクは付けているけど)私は、風邪を引くことなく一年を過ごすことができた。

ああ、私も会社を休みたかったなあ…。結局、私はそれが言いたかっただけなのである。風邪を引いて、自宅で寝ていたかった。有給休暇を全部消化したかった。どうしてこんなにも虚弱体質なのに、風邪を引かなかったんだろう。もういっそのこと仮病を使ってやろうか。会社行きたくない。会社行きたくない。

これからは爽やかな春風と共に、桜の花びらと花粉が優雅に舞う季節。出会いと別れと花粉による青春と無力の涙で、マスクで顔全体を覆いたくなるほどの、気恥ずかしく、しかし人間らしい表情がポツポツと咲き始めるのだろう。

同じ部署の女性社員の顔を拝むことはきっとない。心の中の雨も、降り止むことはない。

それでも私は、彼女の笑った顔が、きっと太陽のようにチャーミングであるのだと、心の中で、強く、強く、願っているのである。

アナログレコードを買ってみた

 iPodウォークマンが主流となっているこのご時世に、優雅に回転するアナログレコードを眺めながら、小洒落た音楽に聴き入る二十代半ばの野郎が、一体日本にどれくら存在するのだろうか。二年前から万年筆で手紙を書き始め、そして、最近はアナログレコードで音楽を聞く。何だか時代に逆らっているようで、今を生きてる感じがしない。この記事だって古いポメラで書いてるし。

アナログレコードを買った理由

  アナログレコードに手を出した理由は、小さい頃から古いものに憧れていたとか、そんな健全な理由からではなく、ただ単に、映画「君の名は。」の音楽をアナログレコードで聴いてみたいと思ったからだ。CDで聴けばいいじゃないか、と突っ込まれるのは承知であるが、とにかく、アナログレコードで聴いてみたかった。いわゆる、ただのわがままだ。
 なぜそんなわがままな発想に思い至ったのか、それは、自宅だけでしか聴くことのできない、音楽による癒しの時間をどうしても作りたかった。だから、どこにも持ち歩けない、アナログレコードが最善だと考えた。私の部屋にはテレビがないので、仕事から帰っても部屋の中は常に静寂に保たれている。読書や勉強に集中できるけど、それと同時にいろんなことを考えてしまう。それが結構ストレスになる。無音が醸し出す無意味なストレスを、アナログレコードが紡ぎ出す音楽によって紛らわしたかった。
 安直な発想だったけれど、これが意外にも名案だったように思う。

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CDとアナログレコードの違い

 音による違いは特にない。アナログレコード特有の渋い音が鳴り響けばいいのだけれど、残念ながら、それはない。私の耳にセンスがないだけなのかもしれないが、本音はそうだ。むしろCDとかで聴いた方が手軽だし、高性能のスピーカーやイヤホンを使えば、そっちの方が音は優れているように思う。
 見た目と取り扱い、そして、曲の種類、違いはこれらに尽きるんじゃないかと思う。
 黒い不気味な円盤に、針をチョンと置くだけで音がでる。それだけで感動が生まれる。初めて黒い円盤から音が出た時は「ほ、本当に音が出るんだ!」と、初めてスマホを指で操作したくらいの感動があった。
 扱いは丁重にしないといけない。もし傷が付いてしまったら、それだけで音に影響が出てしまう。そこが少し面倒だけど、音楽を大切にする気持ちが、CDよりも断然違うと胸を張って言い切ることができる。
 曲の種類も、売られているのがほとんど昔のものなので、今の流行の曲を聴きたくてもアナログレコードでは聴けなかったりする。しかし、新たな曲の出会いとしては、良いきっかけになるのではないかと、個人的には考えている。


アナログレコードはどこに売ってるのか

 Amazonヤフオクで販売されているから、聴きたい曲があれば検索して買うのが一番だと思う。私は特にアナログレコードで聴きたい、こだわりの曲がなかったから、実際にレコード店に行ってみた。
「とりあえずビートルズが無難かな」という如何にも初心者丸出しの考えで、4店舗くらいレコード店を渡り歩いた。
 しかし人が少ない。そして、店舗は驚くほど狭い。
 店内は、アナログレコードを愛してやまないこの道○○年という強者しかいないので、会話もマニアックな単語ばかりが飛び交っている。
 初心者の私が場違いだったのは否めなかった。
 アナログレコードのラベルはほとんど英語なので、ビートルズ以外に何を選んでいいのか分からない。目的のビートルズも見つからない。じっくりと吟味し、何も買わない行動を繰り返し、ついに4店舗目に突入。
 そして、ようやくビートルズを見つける。二枚入って約1000円だったので、安い、と思い、その場で2セット購入することを決める。
 気になったのが、日本版と海外版の違い。マニアックな会話をお客さんと流暢に楽しむ店主に勇気を持って尋ねてみた。
「日本版と海外版の違いって、何ですか?」恐る恐る尋ねる私の声はおそらく震えていた。だって、この店に似つかわしくない、あまりにも初歩的な質問だったから。
 すると、店主は「音による違いはありませんよ。中に入っている説明書が日本語で書かれているか、英語で書かれてるか、ただそれだけですよ」と懇切丁寧に教えてくれた。
 ありがとう、ありがとう店主よ。こんなにも何も知らない、初心者の私に答えてくれて…。
 レコードを2セット買うだけで、へとへとになるくらい体力を使ってしまう私なのであった。
 だから、あまりレコードについて詳しくない人は、ネットで買う方が手軽でいいと思うよ。

アナログレコードを買ってから

 アナログレコードで音楽を聴く習慣が数日続いているけど、先にも述べたとおり、前よりも音楽を大切にしようとする気持ちが増したように思う。ミスチルを聴き続けてこの道10年の私が、違った音楽に手を出すのは、人類で初めて月に足を運んだように、私にとって大きな一歩になった。なんてね。
 日々悶々としている人は、アナログレコードに限らず、何か自宅で気を紛らわせる趣味を見つけるのも、良い気晴らしになるのではないかと、私は考えている。

 

生きていくうえで大切なことは、忘れてしまうこと。

 最近思うのが、悩みやストレスの根源的な要因は、過去の失敗をいつまでも引きずってしまうことにある、ということ。

 

 先月あたりはもう駄目だと思った。嫌なことが忘れられず、それらが積み重なっていき、少しずつ心が押し潰されていった。

 

 甘く見ていた。心の病なんて、所詮本人の気持ち次第だろうと、そう思っていた。でも、心は簡単に押し潰される。さらに、押し潰された心は、そう簡単には戻らないのだということを、今回改めて痛感した。

 心がやられる前に、どうにかして対処しなければ、充実した毎日が過ごせない。いかにコンスタントに心にのしかかる重荷を払拭させるか、その術を見つけていかないといけない。

 

 心が不調だと、体の方にも影響が出てくる。頭痛や無気力状態、食欲の低下などに襲われ、それらが発端となって思考力が低下し、物事の判断が鈍くなってくる。そうなると、せっかくの人生がハリのないものとなってしまう。

 

 これから以下の3点をやっていき、荒んだ毎日に少しでも潤いを与えていこうと思う。

 

・日常の小さな幸せを見つける

 毎日おいしいコーヒーを飲むでも、朝早く散歩するでもいい。とにかく好きなことを毎日の日課にしようと思う。大きな幸せは考えないようにする。疲れてしまうから。

 

・駄目だと思ったら諦める

 我慢強く生きていくことも大切だけど、どうしても駄目だと思ったら、潔く諦めることにする。逃げることで新しい自分に出会えることもあるから。

 

・思ったこと、考えたことを文章にして残す

 自分の思ったことをノートやブログに書き綴っていこうと思う。それがいつか自分の為になると信じるのも、人生においては悪くはない。

 

 ~どうしても辛い思いを忘れられない時~

 どうやら時間が全てを解決してくれるらしい。人間は呆れるほどに忘れる生き物だから、良いことも悪いことも、ほとんどが忘却の彼方へと消えていく。だから時間に頼るというのも一つの手。

 でも時間が解決してくれない場合は、どうすればいいのか。その答えはきっと人それぞれとなのだろうから、正確なことは自分でもよく分からない。子供と遊んだり、恋人と過ごしたり、友達と笑ったりすることが、心のわだかまりを吹き飛ばしてくれるという人もいる。

 私は辛くなったら、とりあえず遠くに行こうと考えている。見知らぬ地に足を運んで、そこでしか味わえない空気を吸って、とにかく歩き回って、頭の中を空っぽにしてやろうと思う。

 そうやって何とか今年を乗り切っていきたい。

 

 以上のことから、嫌なことを忘れることは大切だと気づかされる。