心はいつも雨模様

記憶より記録

妄想手紙 ~ 幼馴染へ送る 1通目 (私) ~

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 森見登美彦さんの『恋文の技術』や夏目漱石の『漱石書簡集』そして姫野カオルコさんの『終業式』の書簡体小説が大好きすぎるので、自分も真似て、たまに手紙形式で記事を書いていきたいと思う。

 タイトルは妄想手紙と書いているけど、実際に起きたことやその場面の空気など、もしかすると手紙に反映させているかもしれない。しかし過去は幻想に過ぎないし、大して充実した人生を送っていない私なので、妄想が膨らみ過ぎ、あり得ないことを書いてしまうかもしれないが、まあ、楽しく記事を書いていけたらそれでいいと思っている。

 尚、この手紙形式の記事を数少ない友人に見られると非常に恥ずかしいので、私と、そして、このくだらない記事を見に来てくださった心優しい寛容な読者様だけの秘密である。

 

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初めて指導する立場を経験します。

私は生まれてこの方、誰かを指導する立場に立ったことがありません。思い起こせばいつも指導される側にいたように思います。"指導"と聞くと少し堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、誰かに対して何かを親身になって教える、いわば講師のような仕事も、私は指導に入ると思っています。

私は小学生時代にたくさんの習い事をしていました。ピアノ、英語の塾、スイミングスクール、習字、野球。小学生ながら忙しなく過ごしていたなあ、と社会人になった今でも思います。さらにその後も、高校受験や大学受験、就職の為の資格取得など、私は常に何かを"教わる"側で人生を過ごしてきました。

今回、社会人の基礎的なスキルを身につけるためのパソコン講座が行われ、私はその補助をすることになりました。実際に教壇に立ってExcelやWordのやり方を教えるのは別の人ですが、質問などがあれば、真っ先に教えに行かなければいけない立場です。本当に補助的ではあるけれど、少なからず指導する立場にあります。ですから、考えるだけでとても緊張してきます。

IT業界で働いてるくせに、パソコンのことなんてよく知りません。キーボードを見ないとまともに文字を打てなかった1年前の私が、1年間プログラミングの基礎的な知識を学んできた程度の実力です。ExcelやWordも業務でそんなに扱ってきませんでした。そんな感じだから、人に教えられるような知識も持ち合わせていないし、何より、丁寧に分かりやすく教えることが、今の私には難しいように思います。

願わくは、どうかどうか、私に質問が飛んできませんように…。

いや、違うでしょう。阿呆ですか私はっ。

嫌なことにも積極的に挑み続けていき、それを自身の成長に繋げていくと、就職活動の自己アピールで唇ずっぱく言ってきたはずでしょう。

逃げるな自分。逃げ腰の姿勢ではいつまでたっても成長しない自分のままだ!

かつて就職浪人をしていた私は、スーパーマーケットで働いていた時代がありました。そのときのチーフのお姉さんからよく言われていた台詞があります。

人前で働く上で大切なことは、とにかく、堂々としていること。分かんなくても、分からないなりに、前向きに対処していきなさい。完璧にできる人間なんて、そうそういないんだから

そうです。今から私にできることは、ただ堂々と、指導員として仕事をしていくだけなのかもしれません。足掻いたって何も変わりはしないから、キモチを整理していくことだけを第一に考えていきます。

こうして過去に出会った人たちの言葉が、今になって背中を押してくれているのを考えると、何だか嬉しい限りです。

明日、がんばろうか。

「すみません、ここが分かりませーん」と質問しに来る人がいたら、

「私も、分かりませーん」と、堂々と答えてみよう。

それじゃあ、仕事にならないか。

嫌なことを目の前に控えた、一社会人の戯言でした。

マスクの下に隠された秘密

冬に吹き荒ぶ乾いた風が、厄介なインフルエンザウイルスを運んでくるのは、自身の体調を管理するために、知っていて当たり前のこと。人々のマスク姿は、クリスマスツリーを眺めるくらいに、もはや冬の風物詩になっているのは言うまでもない。最もクリスマスツリーのようにキラキラした輝きはなく、「ウイルス近寄るんじゃねえ」という怨念のような雰囲気しか漂わないのが見て取れるのだけれども。

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マスクの使い道は、咳やクシャミなどで、人に風邪を移さないことが第一だと思っていたのだけれど、どうも最近は違うらしい。空気中に浮遊しているウイルスを100%遮断してくれるのを期待している人、埃っぽいのがとにかく苦手な人、口臭を気にしている人、口元のコンプレックスを隠したい人、マスクそのものが格好いいと思って付けている人など、様々な理由で使用している人がいるらしい。

私はマスクをする習慣がない(付けた瞬間息苦しくなりすぐに放り投げてしまう)ので、マスクを付けている人を見ると「息苦しくないのかなあ」とつい思ってしまう。もちろん、私はインフルエンザ対策として、見えないマスク(持っているだけでウイルスを寄せ付けない)を使用しているから、インフルエンザ対策は万全だ。…と信じたい。身近に発症した人がいたら、移る確率が上がるので、そこは運もあるんだろうけどきっと。

さて、本題に入ろう。私と同じ部署に一年中マスクをしている女性社員がいる。入社してから一年間、私はまともにその人の顔を見たことがない。同じ部署なのに、向かい側の席で距離も近いのに、いつも大きなマスクで顔が覆われているので、未だにその人がどのような表情をするのかを、これっぽっちも把握できないでいる。もうすぐ四月になる。結局、彼女の素顔を見れないまま、このまま部署移動となってしまうんだろうな。そう思うと、まるで私がインフルエンザウイルスのようで、少し悲しくなる。

マスクをしていても、完璧にウイルスは遮断できない。クシャミなどで周りに菌を広めない、ただそれだけが効果的な代物だから、病気になった人が付けてこそ効果を発揮する。健康な人が付けても、気休め程度になるくらいが関の山だ。マスクの中は吐いた息で湿度が保たれ、口周りの菌やウイルスが死滅すると言われているけれど、そんなの、湿度とウイルスの関係性を極端に合致させた憶測にすぎないではないか。現にマスクマンの女性社員は風邪で会社を数日間休み、虚弱体質でしかもマスクすら付けない(目に見えないマスクは付けているけど)私は、風邪を引くことなく一年を過ごすことができた。

ああ、私も会社を休みたかったなあ…。結局、私はそれが言いたかっただけなのである。風邪を引いて、自宅で寝ていたかった。有給休暇を全部消化したかった。どうしてこんなにも虚弱体質なのに、風邪を引かなかったんだろう。もういっそのこと仮病を使ってやろうか。会社行きたくない。会社行きたくない。

これからは爽やかな春風と共に、桜の花びらと花粉が優雅に舞う季節。出会いと別れと花粉による青春と無力の涙で、マスクで顔全体を覆いたくなるほどの、気恥ずかしく、しかし人間らしい表情がポツポツと咲き始めるのだろう。

同じ部署の女性社員の顔を拝むことはきっとない。心の中の雨も、降り止むことはない。

それでも私は、彼女の笑った顔が、きっと太陽のようにチャーミングであるのだと、心の中で、強く、強く、願っているのである。