心はいつも雨模様

記憶より記録

魔法の珈琲

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飲むと口の中に広がる苦みがたまらなく心地よい。そう感じ始めたのはいつからだろうか。

子供の頃、初めて珈琲を口にしたとき、真っ先に口から出た言葉は「まじい…」の一言だった。こんなに苦くて、香りも独特で、カフェインというよく分からない成分の入った黒い飲み物を、好き好んで欲する人が、この世に存在するのだろうか。存在するとしたら、余程の変人に違いない。そう思った。

それ以来、私の中での珈琲は、ただの不味い飲み物でしかなくなった。だから高校を卒業するまでは、珈琲なんて一切口にしなかった。たとえ砂糖やミルクが入り、飲みやすくなっていたとしても、苦手なのは変わりなかった。

周りの連中が「ブラック珈琲って、美味いよな。香りも良いし」と、わざとらしく大人びた台詞を言う中で、私は「ココアこそ人類最強の発明である」と言及し、対抗した。しかし十代後半の若者の大半は、やたらと大人になりたがる傾向にあるので、ココア至上主義を謳う少数派の私は、あっけなく敗北を喫することになる。

勉強のお供は、夏はもっぱらペットボトルの冷たいお茶。冬はバリエーション豊富で、ココアかカフェオレかコーンポタージュだった。コーンが缶の底に溜まり、うまく取り出せなかったとき、「コーンが出てコーン」と、真冬並の寒いダジャレを言い放ち、周りを凍り付かせてしまった時は、本当に消えてしまいたかった。でも、今となってはそれさえも愛おしく感じる。

そんな珈琲嫌いだった私が、自ら珈琲を口にし始めたのが、大学の4年生の卒業間近の時期だった。その頃は、卒業論文に行き詰づまり、就職活動に行き詰まり、八方塞がりの状況だった。学生生活の最後の半年間は、腹痛で寝込んで、部屋の隅っこでずっと震えていたのは、まだ記憶に新しい。

そのような心理状態だったから、自宅にいても、余計なことを考えてしまうだけだし、図書館で勉強しても、まったく頭に入らなかった。
心安らぐ場所がなかった私は、アパートの近くにあるカフェに立ち寄ることにした。気晴らしくらいにはなるだろうと思った。
お店の中に入り、「コーヒーをください」と力なく注文する。心から珈琲を飲みたいわけでもなかったのに。
店員は20代後半くらいの女性で、とても大人びていて、優しい表情をしていた。
「コーヒー、お好きなんですか?」と、その女性店員は微笑みながら尋ねてきた。
「それほど好きではないです」
女性店員はクスッと笑い、「そうですよね。コーヒーによっては、かなり癖がありますから、おいしくないコーヒーは、本当においしくないです」
「ここのコーヒーはおいしいんですか」
「それは、飲んでからのお楽しみです」
私のそっけない受け答えにも、優しく対応してくれたあの人に、今は本当に感謝したい。

久しぶりにブラックの珈琲を目の当たりにした。
白くて綺麗なマグカップからは、珈琲の独特な香りと、白い湯気が立ち昇っており、昔、私が見た珈琲とは、明らかに違った雰囲気を漂わせていた。
カップを手に持ち、一口だけ口に入れてみる。
意外にも不味いとは思えなかった。いやむしろ、珈琲の苦味が心地良いとさえ思えたくらいだった。

私は考えた。なぜ嫌いだった珈琲が飲めたのか。
人生の苦味を味わっていた時期だったから、自然と珈琲の苦味にも馴染めたのだろうか。
それとも、店内の落ち着いた雰囲気がそうさせたのだろうか。
私の味覚が大人になったから、そう感じたのだろうか。
どれも違う。
たぶん…あの人が淹れてくれたから、美味しいと感じたんだ。
それを思うと、何だか気恥ずかしくなった。
私は、先程の女性店員を見た。私の視線に気づいたのか、相手もこちらを見て、そして、微笑みを返してくれる。
おそらく、珈琲を悪いものではないと思い巡らしている私のことを、きっと彼女のことだから、感じ取っているのだろう。
でも、悪いものではないと思う理由は、私の心の中に留めておいたので、彼女には届いていない。

あの人が淹れてくれた魔法の珈琲は、私をちょっぴり大人にさせてくれた。

今日も珈琲を一口飲む。
あの時のような不思議なおいしさはないけれど、珈琲の独特の香りと苦味が、心地良さを与えてくれる。

またいつか会えるだろうか。

心に落ち着きと癒しを与えてくれる、魔法のような珈琲に。

そして、優しい笑顔で珈琲を淹れてくれた、あの人に。