心はいつも雨模様

記憶より記録

ヘンテコな年越し

 世の中の人々は年越しをどのように過ごしているのだろうか。今まで私は、地元の友達と遊んだり、実家でのんびりと過ごしたりと、ありきたりな年越しがほとんどだった。だから年越しの過ごし方というのを特に考えたりすることはなかった。私と同じように何も考えず地元でだらだらと過ごしている人はきっと多いはず。多分。

 社会人になり、実家から遠い地で働いているため、年末に地元に帰省するのが面倒くさくなったので今年は一人で年越しすることにした。でも初めての一人年越しはさんざんたる結果で終わってしまったので、その無様な有様をここに記すことにする。来年も同じことを繰り返さぬように。

 

「とりあえず年末は京都をぶらぶらと散歩して、いろいろ見て回ろう」

 数ヵ月前にそう計画した。京都には古い名の知れたお寺や、華やかなお店がたくさんあるので、足を運ぶだけで充実した時間が過ごせる、そう思った。でも計画はあくまで計画で、年末当日はほとんどが計画通りにいかないものとなってしまった。

 

 京都へ行く途中、とにかく仕事のことで頭がいっぱいだったのでのんびりと過ごせるような心境ではなかった。

「仕事が嫌で仕方がない。この先、今の仕事を続けていくべきなのだろうか」

「人生って難しいな…私に合った生き方とは、いったいどのようなものなのだろうか」

 電車の窓から過行く景色を眺めながら、今後のことをぐるぐると考え続けた。考えすぎた挙句、急に激しい頭痛に襲われた。京都へ旅行する前日も、考えすぎて食事が喉を通らないほどに身体が弱っていたので、この時、心も体もボロボロだった。

 

 京都駅に到着し、急にひどい疲れに襲われた。

「これは一旦休んだほうがいいな。ひとまずホテルへ行って休憩しよう」

 京都の地に足を下ろして数分しか経っていないのに、さっそく今夜宿泊するホテルへと向かう。

 チェックインして部屋に入り、ベッドに横になる。

「他の人たちはきっと楽しい年末を送っているんだろうなあ」と不意に悲しくなる。

 目を瞑ると、激しい眠気に襲われて、そして、次に目を開けたときは夕方18時を過ぎていた。

「何やってんだ私は。後30分くらいでガキの使いが始まってしまうではないか」

 すぐに夕食の買い出しに行き、年越しそばを買う。帰ってシャワーを浴びて、ガキの使いを観るためにテレビをつける。

「なんだが実家にいる時の年越しと変わらないなあ」とそばを食べながら思った。

 そばを食べ終え、ベッドに横になり、のんびりとテレビを観る。

 そして気がつけばまた眠ってしまっていた。次に目を覚ました時は、除夜の鐘が夜の京都に響き渡っている時間帯だった。つまりあと少しで年越しというところだった。しばらくしてスマホを確認すると、12時を回っていた。

「年、越しちゃったんだなあ」と布団に包まりながら呟いた。 

 

 反省点は切り替えが大事だということ。嫌なことは忘れて、楽しいことだけを考えることは、生きる上で必要なスキルだということを改めて実感できた。天才棋士羽生善治さんだって、忘れることは大事だと言っていた。

 

 思い出深い年越しにはならなかったが、あまりにも計画通りにいかない何もない年越しだったので、ある意味印象深い年越しとなった。

 

 こんなヘンテコな年越しを味わった人がこの世にいるのだろうか。