心はいつも雨模様

記憶より記録

死んだブログから学んだこと

本当に心に余裕がない時は、鼻歌程度の文章すら思い浮かばない。

生きていくために現実の厳しさと向き合って悩んで考えて落ち込んで、そうしたらあっという間に時間が経過していく。

だから今こうして日記が書けているということは、少なからず今だけは心に余裕が生まれているのだと思う。良い傾向なのか悪い傾向なのか分からないけれど、多分、良い方向に向かいつつあるのだと、前向きに捉えておこう。。。

私のブログは死んでいた。全く息をしていない状態だったので、存在すらもう忘れられてしまったと思う。

でもそんなブログでもちゃんと意味があるのだと、みんなに提言したい。
死んでいたブログを読み返してみると、意外と面白い発見があったりする。
当時の自分はこんなことを考えていたんだ、こんなことを感じていたんだ、と、過去の自分から改めて教わることが見えてくる。ブログや日記もそうだけど、SNSでのやりとりとか、今までに読んだ本とか映画の作品などを見返すと、良い刺激になったりする。

過去の自分から学べるものがある

営業に移動になってから、悔しくて、でも、負けたくなくて、とにかく人とお金に慣れるように自分なりに頑張ってきた。でも性格的に合わないことを無理に続けたので、体に影響が出てしまった。低血糖、白血球減少症、全身じんましん。笑える。メソメソ親に電話をしたのは今となっては滑稽な思い出。人生オワタと思うくらい心と体は密接に関わり合っているのだと、再確認した。外に出て、穏やかな場所で日に当たる時間を作ろう。

健康は大事

そして、人が人である以上、完璧な人間関係なんて存在しない。それを二十代半ばになってようやく気づけた。嘘ばかり言う人。お金と地位を振りかざし見下す人。他人の人生を否定する人。世の中にはいろんな人がいる。だけど、もう少し人を信じてみたいなと未だに思うこともあるので、まだまだ頭の中はロマンチストだなと我ながら思う。良い人もいるけど悪い人もいる。難しい世界で私たちは生きている。

完璧な人間関係は存在しない。だから身近な人を優しく大切に

就職のため、関西に来て2年が経つ。辛い気持ちを押し殺してなんとかここまでこれたけど、でもやっぱり辛い気持ちは消えない。辛い、が人生なんだよねきっと。だから辛い人生の中で自分の楽しさを見つけていくしないんだと、これも今になってようやく気づけた。辛いトンネルを抜けてたら次はキラキラした幸せがやってくる。今までの全部が報われる。なんてことは、ない。世界が自分自身を幸せにしてくれるなんて、そんな綺麗事はない。自分で納得のいく状況を掴み取らないといけない。先が見えなくて怖いけど、でも頑張るしかない。頑張ろう。

・楽しさは自分で掴み取る。見つからなければ、ちょっと冒険してみる

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最初は不安で何もかもが愛着のないぶっきらぼうな街並みに見えた大阪も、今は見慣れた地元の風景のようにすんなりと視界に収まる。

感慨深い思い出なんて何もない大阪で迎える春も、特に期待するものなんて何もないのだろうけど、でも、初めて目にした大阪の桜は去年よりも、一昨年よりも、きっとキレイに見えるんだろうなと、そんな気がして、心は春一色に染まりつつある自分が恨めしくもあるのだった。