心はいつも雨模様

徒然なるままに書いていきます。

「オーデュボンの祈り」は小説の原石

私が伊坂幸太郎さんの小説と出会ったのは、一人暮らしのヒの字も知らない、まだまだ完全な親離れができていない大学一回生の頃でした。積極的に友人を作り「ウェーイ」と言いながら酒をたらふく飲むTHE大学生でもなかったので、基本的に暇を持て余していました。

でも今思えばその暇な時間が読書という素晴らしいものを教えてくれたので、私としては貴重な時間だったように思います。一瞬の楽しさを生きる大学生と、永遠に読みつくすことのできない読書世界の入口に入った大学生とでは、おそらく人生の質が違ってくると私は思っています。後者を選んだ私は、学生の頃からまったく変わらないピュアな気持ちで本を読み続けています。「あの頃は、よかったなあ」と青春を憂い、悲哀に満ちたサラリーマンにはなっていないので、子供が軽蔑するようなつまらない大人になっていないと、信じています。

伊坂さんの本を初めて手にしたのは、たしか「終末のフール」でした。小惑星の衝突によって地球が滅亡すると予告され、その滅亡する間の人間の模様を描いた作品だったと思います(5,6年前に読んだので正確なことは覚えていません)ありきたりな設定でしたが、人間の良い部分や悪い部分がしっかりと描かれているところが秀逸でした。そして読み進めていくうちに、ありきたりであるからこそ、すんなりと理解できる仕組みになっていることが分かり、そこでようやく伊坂さんのすごさを知ることになりました。

終末のフール (集英社文庫)

「終末のフール」を読んだ後は、伊坂ワールドにのめり込んでいきました。「ラッシュライフ」「砂漠」「死神の精度」「ゴールデンスランバー」「重力ピエロ」「チルドレン」などなど、人気の作品はあっという間に読了してしまいました。登場人物の独特なキャラと、小気味良い会話は、伊坂さんならではの作風であり、読んでいて愉快な気持ちになれます。

読者の心を鷲掴みにし、大人気作家となった伊坂さんですが、そんな彼にも駆け出しの新人時代があったことは言うまでもありません。伊坂さんのデビュー作は「オーデュボンの祈り」で、この本は伊坂作品の中でひときわ異彩を放っていると私は思っています。言ってしまえば、小説の原石のようなもの。デビュー作は作家の全てが詰まっていると言われていますが、まさに「オーデュボンの祈り」はその通りだと思います。これほどまでに自由で生き生きとした小説は、この本以外にないです。

あらすじは「会社を辞めた伊藤という人物が見知らぬ島にたどり着き、不思議な出来事に遭遇していく」です。出だしから突拍子な展開で話が進んでいき、しかも、田んぼを歩いていると、いきなり案山子が喋りだすときます。これにはちょっと本をかじった程度の当時の私でも、あまりの可笑しさ、シュールさに、読んでいて笑ってしまった記憶があります。実は賞を決める選考委員の人たちも同じ事を思ったそうで、読んだ瞬間に「なんじゃこりゃあ」と、あきれたそうです。選考委員の書評を見てみると、かなり辛辣な評価が書かれています。

しかし「オーデュボンの祈り」が賞に選ばれることになります。いろんな優れた作品がはびこる中で、なぜ、賞に選ばれたのか。それは、自由すぎるストーリーが、本当の小説の楽しみ方を読者に教えてくれたからだと思っています。マンネリ化した小説の世界をぶち破り、読者に新鮮な気持ちをもたらしたのです。賞の選考時、「オーデュボンの祈り」を誰かが口にすると、誰もが自然と笑顔になり、その話で持ちきりとなったそうです。

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右が単行本で左が文庫本。単行本と文庫本では違いがあり、原稿用紙150枚程度の削除がされ、そして全体の改稿がなされ、文庫本が発売されました。ですから、単行本の方は文庫本では描かれていない文章を読むことができ、さらにデビュー時の荒々しい文体を感じることができます。できれば世の読者様には単行本を読んで欲しいですが、デビューしたての頃はまだ知名度がなかった為、まったく売れず、初版にして絶版になってしまいました。そのため「オーデュボンの祈り」の単行本は、ファンの間では幻の本となっており、4000円~5000円と高値で取引されています。単行本を見かけたらすぐに購入して家宝にすることをおすすめします。

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マルイネコと「オーデュボンの祈り」の署名本

そんなわけで学生時代に読書の楽しさを教えてくれた「オーデュボンの祈り」にとりあえずは感謝したいと思います。

小説の原石はまだどこかにたくさん眠っていて、読めばきっと読者に新鮮な気持ちを与えてくれるはずです。

私はいつまでも終わることのない本の世界を、あの頃の新鮮な気持ちを抱えたまま、しかし、まだ見ぬ発見を探そうとする好奇心を胸に秘めながら、旅していくことでしょう。