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心はいつも雨模様

文豪に引けを取らない迷文を書いていくブログ

平成の若者が見る太陽の塔は普通すぎるほど壮大だった。

迷文手記

昔の映像がテレビ画面に写し出されるたびに、私は、今を生きていることを強く実感する。特に太陽の塔はそうだった。昔の映像で塔が映し出されるたびに、私はこの時代に生きていない、そう強く感じた。まるでその塔が時代の中心のように。
おそらく私だけでなく多くの人が感じ取っている感情だろう。「生きてるって素晴らしい!」と安直には思えないけど、生を感じることは、今を生きる人にとっての特権だと思う。
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(昨年の冬に撮った写真。枯れ葉と青空が見事でした)

私の中の太陽の塔

私の中の太陽の塔は、ボロボロにひび割れて、ちょっぴりくすんだ色をしていて、どこか懐かし気のある趣深い塔、そんなイメージだった。しかし私は、塔の意味をこれっぽっちも理解していない。設計者は岡本太郎氏で…どうやらカラスをモデルにしているらしくて…昔は塔の中に入れたらしくて…後ろの模様は過去を意味しているらしくて…そんな情報しか知らない。過去にはたくさんの注目を浴びていたが、今は過去の素晴らしさをただ寂しく象徴するだけの…まさしく廃墟のようなものだと思っていた。

作家さんの描く太陽の塔

森見登美彦さんの描く太陽の塔が夢を見ているかのように幻想的だった。登場人物はその不思議なモニュメントにただ惹かれるだけ。何を意味しているのかもよく分かっていない。でも、そんな不思議な姿がより魅力的に映る。物語全体を不思議な雰囲気に包み込み、現代の無個性な生き方をあぶり出している。もしかすると太陽の塔は、闇雲に走り続ける世界に、少しばかりの疑問を投げかけたかったのではないだろうか…なんてね、それは私の憶測にすぎない。

実際に見た太陽の塔

実際に太陽の塔を見てみた。長い年月を経て今も平然と聳える太陽の塔は、私を押し潰してしまいそうなほど壮大だった。想像上の趣深い太陽の塔とは裏腹に、しっかりと地に足がつき、現実を優雅に眺める神様のように、世界をそっと見下ろしていた。不思議な雰囲気はそのままにして。廃墟にように現実味のない塔だったけれど、コツ、コツ、コツ、と私の中で修復され、心を支えてくれる確固たるものになったように思う。
何年先も、私がいなくなった世界でも、芸術としての威厳は保たれますように。
生きる人たちの心を、優しく包み込みますように。
太陽の塔が、本物の太陽の如く輝き続けますように。
そんな平和的な考えを願っている、今日この頃です。