心はいつも雨模様

記憶より記録

妄想手紙 ~ 幼馴染へ送る 3通目 (私) ~

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   ヤマジュン

拝啓 俺より長文で手紙を返してくるとはさすがやるな。コノヤロウ。しょうもない腐れ縁だけはある。

 4月の半ばになると東京の桜も散り始めている頃ではないだろうか?大阪城の周りに咲き誇る満開の桜は本当に綺麗だったよ。でも満開の姿は一瞬で、今はわずかなピンク色を残しているだけ。まるで青春の淡い恋心のようではないか。

 それにしても、彼女とはどういうことだ。俺は聞いてないぞ。けしからん。君だけ恋の蜜をたんと味わっているなんてズルイ。ズルイ、ズルイ、ズルイ。なんてね、俺はそんな事で動揺したりなんかしない。文字が少し震えているのは、連続でクシャミをしてしまったからだ。花粉には敵わない。どうやって彼女を作った?まさか画面から出てこないというオチではあるまいな。

 社会人生活、順調そうで何より。この調子で何の実りのない日々を謳歌したまえ。あのメールが悲観的でないことくらい俺は分かっていたさ。腐れ縁だもの。ただ、長い人生の中で一つの節目と思われる就職先の選択に躊躇していた君は、少なからず前向きでは無かったはず。あまり強がるのも良くないぞ。俺だって今の会社に不満はある。むしろ辞めてもいいくらいだ。

  俺が公務員試験に受からなかったのは必然だったように思う。君は分かっている通り俺はあまり外出を好まない。それなのに面接官からは「旅行するならどこに行きたい」という質問が嫌というほど飛んでくる。俺は思考停止に陥るばかりだった。30秒以上無言が続く。特に行きたいところもないので、すんなりとは思い浮かばないし、かといって適当に言っても突っ込まれたらアウトだ。もともと向いてなかったのかもしれない。公務員の面接の極意は嘘を貫き通すことと言われているから、仕事でもそれくらいのコミュ力が求められるのかも。

 君のジャッキー・チェン人形が破壊された事件、すっかり忘れていたよ。君の手紙を読んでやっとこさ思い出した。俺はやってない。絶対に。神に誓って。俺はたくさんのいたずらをしてきたが、その一つ一つを鮮明に覚えている。アホみたいに深い落とし穴を作って、りょっぱを付き落としたり、草抜きで集めた雑草をヤマジュンの草入れに全部詰め込んだり、今考えるとかわいいもんだ。しかしジャッキー・チェン人形を破壊した記憶はまったくないんだ。壊してたらたぶん笑わなかったと思う。イタズラは好きだったけど、心から悲しむようなことは俺は好まなかった。

 それと君は嘘をついている。手紙を書くのが、成人に向けての自分が初めてだったと、そんな出鱈目を言うんじゃあない。

 忘れたとは言わせない。お互い小学生だった当時、君は俺よりアホだった。そのアホさ加減が有頂天に達し、君は、とある先生に恋文を書いた。その先生は教育実習の為、数週間だけ先生をしている人で、とびきりの可愛さだったのは当時の俺も覚えてる。教育実習期間が終わり、先生が学校を去る、その時に君は手紙を渡した。手紙を受け取った先生は、優しく微笑んで、君の頭をポンポンと叩き「10年後にまたお願い。それまでは開けずに大切に取っておくからね」と言った。これは全部君から聞いた証言だ。君は変な大人の映画でも観たんじゃないか。これを読んで君は赤面してはいまいか。思い出したかこのロマンチスト。

 その後、初恋が見事に砕け散った君は、何を血迷ったのか、運動場にあるうんていの上を走って渡ってみせると皆の前で宣言した。男子全員が見守る中「うあ~」と叫びながら、甘酸っぱい初恋の味を必死に忘れようと、うんていの上を駆け抜けていった。しかし君は15本目で踏み外し、15本目の棒が股間にクリーンヒットした。あれは本当にいろんな意味で見ていて痛々しかった。君は悶絶し、のたうち回り、男子全員の笑いを誘い、そのまま終わった。

 それ以来、君は伝説となり、クラスの人気者になった。(男子限定)

 体育の授業で、うんていを使う授業があった時はいつも君のくだらないお披露目を思い出して、集中できなかった。結局クラスの中ではそのうんていは「股間うんてい」と名が付き、男性からは称えられ、女性からはおぞましいものを見るような目つきでその15本目の棒を見ていた。女子全員はその棒の前であきらめた。先生は「なぜ女子は15本目の手前であきらめるんだ」とブリブリ文句を言っていた。それは俺たち、クラスの中だけが知る秘密。いつかみんなで話したいな。君の彼女とやらも含めてな。昔の話をするとどうも手紙が長々しくなっていけない。もう少しお互い簡潔にまとめようぜ。

 それではこの辺で。男だけに送るのは華がないと思ったので、この前、春子にも手紙を送ってみた。春子にはずっといろんなことに負かされてばかりだったから、手紙なら彼女に勝てるかもしれない。彼女の悔しがる姿が目に浮かんできてとても愉快だ。ははは。君も送ってみたらどうだ。

 ところで、ゴールデンウィークは実家に帰るのかい。
 返事は手紙かメールをよこせ。
 それじゃあさらばだ変態。

                                                                               敬具

2017年4月15日                       

          変態を遥かに凌駕する天才 マルイネコ

 

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平成の若者が見る太陽の塔は普通すぎるほど壮大だった。

昔の映像がテレビ画面に写し出されるたびに、私は、今を生きていることを強く実感する。特に太陽の塔はそうだった。昔の映像で塔が映し出されるたびに、私はこの時代に生きていない、そう強く感じた。まるでその塔が時代の中心のように。
おそらく私だけでなく多くの人が感じ取っている感情だろう。「生きてるって素晴らしい!」と安直には思えないけど、生を感じることは、今を生きる人にとっての特権だと思う。
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(昨年の冬に撮った写真。枯れ葉と青空が見事でした)

私の中の太陽の塔

私の中の太陽の塔は、ボロボロにひび割れて、ちょっぴりくすんだ色をしていて、どこか懐かし気のある趣深い塔、そんなイメージだった。しかし私は、塔の意味をこれっぽっちも理解していない。設計者は岡本太郎氏で…どうやらカラスをモデルにしているらしくて…昔は塔の中に入れたらしくて…後ろの模様は過去を意味しているらしくて…そんな情報しか知らない。過去にはたくさんの注目を浴びていたが、今は過去の素晴らしさをただ寂しく象徴するだけの…まさしく廃墟のようなものだと思っていた。

作家さんの描く太陽の塔

森見登美彦さんの描く太陽の塔が夢を見ているかのように幻想的だった。登場人物はその不思議なモニュメントにただ惹かれるだけ。何を意味しているのかもよく分かっていない。でも、そんな不思議な姿がより魅力的に映る。物語全体を不思議な雰囲気に包み込み、現代の無個性な生き方をあぶり出している。もしかすると太陽の塔は、闇雲に走り続ける世界に、少しばかりの疑問を投げかけたかったのではないだろうか…なんてね、それは私の憶測にすぎない。

実際に見た太陽の塔

実際に太陽の塔を見てみた。長い年月を経て今も平然と聳える太陽の塔は、私を押し潰してしまいそうなほど壮大だった。想像上の趣深い太陽の塔とは裏腹に、しっかりと地に足がつき、現実を優雅に眺める神様のように、世界をそっと見下ろしていた。不思議な雰囲気はそのままにして。廃墟にように現実味のない塔だったけれど、コツ、コツ、コツ、と私の中で修復され、心を支えてくれる確固たるものになったように思う。
何年先も、私がいなくなった世界でも、芸術としての威厳は保たれますように。
生きる人たちの心を、優しく包み込みますように。
太陽の塔が、本物の太陽の如く輝き続けますように。
そんな平和的な考えを願っている、今日この頃です。

指導する立場を経験した感想

「もっと分かりやすく教えてくれたらなあ」
 学生の頃、授業を受ける側の私はいつもそう思っていました。はあ、とため息をつき、窓の外をぼーっと眺め、太陽の光を受けてキラキラと輝きを放つ飛行機を見つけては「飛行機星発見!」と考えていたあの頃の若かりし自分が、いかにも生意気で、浅はかで、不真面目な人間だったように思います。
 先週、仕事でパソコン講習の指導員を行いました。実際に指導員の立場を経験してみて、分かりやすく教えることの難しさを、これでもかと痛感しました。今更ながら、教師や何かしらの講師など、指導する側で働いている人たちの偉大さを思い知らされました。世の先生方には頭が下がるばかりです。
 本当に、笑えないほどに失敗したから、仕事をしていく上での教訓として、しっかりと文章に残そうと思います。

なぜ指導員がこれほどまでに難しいと感じてしまったのか

  もともとパソコンの操作が得意であったり、熱中するほど好きな分野でもありませんでした。おそらくそれに尽きるのではないかと思います。文系の大学を卒業したのに、たまたまIT業界の会社から内定をいただき、ひいひい言いながら働いている、ただそれだけの話です。ですから突出した知識やスキルが私にはありません。予想もしない問題が起きてもすぐに対処できなかったりします。  

 今回も、数人の受講生がよく分からない操作を行い、私には見たことのない画面の状態が目の前に表示されました。もちろん私には何が起きているのかまったく分からなかったので、すぐに講師にバトンタッチしました。
 Excelの講習もありました。業務で多少Excelは扱っているけれど、特定の機能しか使っていないので、指導する知識としてはまったく役に立ちません。
 以上のことから、難しいと感じたのは、私の知識不足が大きな要因だったのでしょう。

ちゃんと努力はしてきたか。下準備はしてきたか

 努力をしてこなかったと言えば、その時点でそれが問題であるから努力すればいいだけの話です。しかし努力してもダメだったのなら別の問題になります。
 勉強はそれなりにしました。そして実際の講習はどの部分を進めていくのかを、上司に聞きに行きました。「まあここやって、ここやって、時間があればここをやるかもしれない。まあ、まだ決まってないんだけどね」
 上司のさじ加減で講義のすすみ具合が決まってくるので、それが混乱を招いたのかもしれません。
 本来ならば私以外に指導員がもう一人いるはずでした。しかし人手不足により、今回は私一人でやってほしいと言われました。
 私は訴えたい。こっちも人手不足だということを

人と話す機会が極端に少ないのが、指導員として失敗した原因

  人と話すのが嫌いなわけではないけど、超がつくほど苦手です。今回は人とコミュニケーションをとりながら、指導しなければいけませんでした。しかし初めての指導としての立場、そして苦手なコミュニケーションのダブルパンチが混乱を招きました。社会人は積極的に自分の考えを述べていかなければいけません。私の極度の人見知りがボディーブローのようにじわじわと仕事に支障を来していたのかもしれません。

そもそも会社側が難しい仕事を新入社員に押しつけている可能性もなきにしもあらず?

  パソコン講習の指導員は、新入社員が引き受けるのが、私の会社では毎年恒例となっています。しかし指導するやり方を教えてくれるわけではありません。中小企業なので、いちいち新入社員に教えるほどの余裕はないのです。「もちろん、できるよね」といった感じで頼まれました。研修のスケジュールもほぼ名前だけで、私の独学でした。
 それと私の会社は、コンピュータ系の専門卒のスペシャリストであったり、大学院を通っていた賢い人たちが新卒として採用される傾向にあります。私みたいに普通の文系大学卒、しかもパソコンの知識なんてまったくない、キーボードを見ないと文字が打てないほどのレベルが、みんなと同じように仕事ができるわけではありません。そう考えると今回の仕事は私にとって難しいものだったのかもしれません。しかし仕事なのでやらないわけにもいかない。それが社会人の辛いところでもあるのでしょう。

今後の対策

 今後また指導員を引き受ける可能性もあるので、同じ事を繰り返さないようにしないといけません。昨年は採用活動に失敗し、今年度は新入社員が入らないので、もしかすると、また私が指導員として白羽の矢がたつかもしれません。

 今回、初めて指導員をするので、仕事を行う前に「堂々とすること」を心掛けようと決心しました。しかしうまくいきませんでした。不安がそうさせたのでしょう。
 仕事が終わり、落ち込んでいた私に、先輩社員がアドバイスしてくれました。
「まず、分からずに質問してきた受講生に対して、どこがどう分からないのかをしっかりと聞くことが大切。君はたぶんそれができていなかったんだと思う。自分一人で解決することは、指導とは呼べないよ」
 なるほどそうかもしれません。私は一人で解決しようとしたのかもしれません。ならば次は相手の話にしっかりと耳を傾けていくことを意識していくようにします。もちろん、しっかりと勉強は怠らずに。

 たぶんそれくらいしかできることはありません。

 相手に分かりやすく教えるには、まずは相手が分からないことをしっかりと把握すること。今回の仕事で学んだことはそれだけです。やれやれ、経験による疲労と、経験による学習は、綺麗に比例しないものです。

 私はもう大人です。あの頃のように、のんきに窓の外を眺めては「飛行機星発見!」と心の中で呟くようなことはできません。社会人のお手本となるように、成長していかないといけないのでしょう。
 しかし、です。そのようなくだらない考えも、大切にしていきたい自分が、心のどこかにあったりするのです。